こんにちは。今回は、私自身の妊娠経過についてお話しします。
私の周りでは、20代後半に差し掛かった頃から妊娠・出産ラッシュが始まりました。しかし、私の妊娠・出産は、想像していたものとは違い、辛い経験もありました。それでも、今は育児にも少しずつ慣れてきて、「あの時頑張って本当に良かった」と思えるようになってきたので、その経過を少しずつ振り返っていこうと思います。
切迫流産と診断されて…
妊娠してすぐ、つわりがほとんどなかった私は、元気に看護師として仕事を続けていました。ところが、妊娠17週目で「切迫流産」と診断され、仕事をお休みすることに。その後、数週間で入院が必要となり、一時退院も叶わず、結局出産までの3ヶ月以上を病院で過ごすことになりました。
まず、切迫流産について簡単に説明します。妊娠22週未満で出血や痛み、頸管長の短縮が見られ、流産のリスクが非常に高い状態を指します。ちなみに、妊娠22週未満の胎児は、医療現場では救命措置が取られません。一方、22週を超えると、人工呼吸器などを使ってなんとか生きられるよう、医療チームが全力を尽くします。このため、妊娠22週を超えると診断名が「切迫早産」に変わります。
私の場合、入院時には頸管長が25㎜を切っていました。出血はなかったものの、1時間に2~3回、お腹がキュッと硬くなり、痛みを伴うことがありました。
夫の支えとその裏側
その頃、夫は40度の高熱で仕事を休んで自宅で寝込んでいました。私は病院から何度も電話しましたが、全くつながらず…。泣きながら家まで歩いて帰りました。その後、高熱で朦朧とする中、入院の準備をし、雪に埋もれた車を掘り出し、なんとか病院に連れて行ってくれました。すぐに点滴治療が始まり、「シャワーとトイレ以外は絶対安静」との指示が出ました。
初めての妊娠で、お腹の赤ちゃんのことが心配で仕方なく、私は毎日のように泣いていました。看護師かつ小児科医の夫を持つ私は、一般的な妊婦さんより早産の合併症などのことを知っていたため、「もし赤ちゃんの命が助からなかったら…」「障害が残ったらどうしよう…」と、知識が中途半端にあるがゆえに不安でいっぱいでした。
出産後に夫にその時の気持ちを聞くと、「ちゃんと治療を受けて安静にしていれば絶対持ちこたえられると思ってたから、大丈夫って信じてたよ」と笑っていました。入院中も、私の身の回りのサポートはもちろん、できる限りの面会に来てくれたり、仕事で忙しく食事をとれない日もあったようですが、私には疲れた姿を見せず、いつも「丈夫夫」、「俺らはチーム!一緒に頑張ろう!」とたくさん励ましてくれました。知識がある分、夫も不安が大きかったと思っていましたが、意外と前向きだったのです。
早めに病院にかかることが大事
やはり、早めに切迫流産・早産のリスクに気づき、適切な治療を受けることが大切だと改めて感じました。産科医師からも、「早く気づけて良かった」と何度も言われました。元気な娘を出産できたのは医療スタッフや支えてくれた家族のおかげです。
近年、出生数は減少しているのに対し、早産率は増加傾向にあります。私のように、原因がはっきりしなくてもこうした状況に直面することがあるんです。想像していた幸せなマタニティーライフとはなりませんでしたが、娘がこうして元気に育っていることだけで万々歳です。
今回はここまで。また次回、入院中のエピソードについてもお話ししますね。